路地を曲がればスタジアム

Stadiums

煮えたぎる「チゲ」の如く

大田ワールドカップ・スタジアム / Daejeon World Cup Stadium

Daejeon, South Korea あれ? 赤じゃないんだ……。2002年、韓国がイタリアが倒した因縁の地を再訪した私は、自分が勘違いをしていたことに気づかされた。

市場で見つけた太刀魚鍋

唐辛子レッドに沈んだ地中海ブルー

表現力豊かなブラジル人はしばしば、スタジアムを太鼓やタンバリンといった楽器にたとえる。ルーツや階層の異なる人々が巨大な丸い器の中で、賑やかに音を立てているイメージだ。

では韓国は? 私には、この国のスタジアムはチゲに見える。チゲとは韓国語で鍋のことだ。冒頭の写真は、ソウル南大門市場の路地で見つけた「太刀魚チゲ」。中列右のチゲは、いまが食べごろ。唐辛子で真っ赤に染まった鍋の中で、太刀魚がボコボコと煮えたぎっている。これが韓国のスタジアムだ。

この煮えたぎるチゲに飲み込まれたのが、イタリア代表だった。2002年6月18日、日韓ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で韓国とイタリアが激突。イタリア伝統の地中海ブルーは、韓国の唐辛子レッドの中に沈むことになった。このときの思い出を書いていきたい。

大田スタジアム

スタジアム近くには巨大な青果市場が。私はこの一角で同日15時30分に始まった日本対トルコを観戦した。市場の人々はとても親切で旬のスモモやスイカを遠慮なく振る舞ってくれたが、日本が負けた瞬間、市場は大歓声に包まれた。私はため息をつきながらスタジアムへ向かった。

太田スタジアム

スタジアム横の歩道橋には、2002年の大会ロゴが残る。

大田スタジアム

4万407人収容。日韓ワールドカップでは3試合が開催された。

大田スタジアム

科学技術都市として知られる、大田市のマスコットキャラクター「HANKKUMI」くん。未来の国からやって来たという設定だとか。

大田スタジアム

韓国を準決勝に導いたオランダの名将ヒディンクの足型レリーフも。

大田スタジアム

日韓ワールドカップのミュージアムもあるが、あいにく閉まっていた。

太田スタジアム

スタンドは紫を基調とした配色。そのため地元では「パープル・アリーナ」のニックネームで親しまれている。

太田スタジアム

ゴール裏から。

大田スタジアム

メインスタンドから。

地鳴りがして次の瞬間、地響きが…

15年ぶりにスタジアムを訪れて、まず思ったのは「あれ? 赤じゃなかったの?」ということ。イタリア戦は「Be the REDS」のシャツを着た老若男女で埋め尽くされていた。そのため、赤いスタジアムだと思っていたのだ。

イタリア戦の異様な空気は、15年が経ったいまでも昨日のことのように思い出すことができる。

88分にソル・ギヒョンの同点弾、117分にアン・ジョンファンのゴールデンゴールが決まったとき、この巨大なスタジアムは地響きを立てて揺れた。嘘ではない。ほんとうに揺れたのだ。地鳴りのような轟音が聞こえてきて、ゴールネットが揺さぶられた瞬間、ガタガタガタと足下が揺れた。それは長時間、強火で茹ですぎて、チゲが揺れ出したかのようだった。

ゴールデンゴール後の光景も、よく憶えている。真っ赤に染まった観客席の中に、ぽつんと青の小島があった。双眼鏡で見ると、それは中世の騎士のコスプレをしたイタリア人と、イタリアファンの(たぶん)日本人女性たちだった。騎士と女性たちは目の前で起きた出来事が理解できないようで、呆然としていた。

ゴールデンゴールが決まるやいなや、韓国人は狂ったように叫びながら街へ向かった。私もチゲの濁流に飲み込まれ、気づけばスタジアムに近い韓国有数の温泉街「儒城(ユソン)」の歓楽街に流れ着いた。そこは飲めや歌えやの大騒ぎで、焼肉やビールをたらふくご馳走になった。大会は翌日から2日間の中休み、私は日本が負けたこともあって、やけくそになって飲みまくった。翌日、何をしていたのか、よく憶えていない。

韓国中がチゲと化した2002年6月18日、この日のことを書いていて、いまさら気づいたことがある。それは一銭も払わずに飲み食いしていたことだ。

잘 머거씀니다(チャルモゴッスムニダ)。どうもご馳走さまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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